空の光の

 

 

 

『君へ』と名付けられたその歌は、ヒチョンさん、があふれていた。Kimihe という音が キムヒ という名前と掛けられているように思えるのは偶然だろうか。

 

永遠のような 憂鬱に閉じ込められて

冷静装い 自分を責めているの

 

静かな歌声から始まるその歌は、優しくて、寂しくて、どこか懐かしさをたずさえていた。

 

「君」にあてた届かないことを知っている手紙のような言葉によって進んでいく詩。「君」の近くで、遠くで、励ましながら、諭しながら、ときには自分に言い聞かすように。それは熙天という名前に込められた意味を知っている人だけが気づく時空を超えるメッセージだった。そして最後、それまで「空の光の」と俯瞰して語られていた「君」が「空の光の」「僕」「空に浮かぶ」「僕」とリンクする瞬間、この人はいままでを絶対に “なかったこと” にはしないんだなぁと思ったのだ。わたしはずっと、強くなろうともがくあなたが好きなのです。

 

ひちょんさんの100分の1も知らなくて、こんなふうに言葉を残すこともおこがましい気がするけれど。やっぱりこの歌詞をみたら、この歌を聴いたら、想いをはせずにはいられなくて、こんな風に言葉を綴っている。

 

歌手になるために生まれてきたひとだと思います、というファンの言葉に、ありがとうございますと言いながらもすこし暗い表情になって、そう見えるならいいけど…そうかなぁ〜と呟いていたひちょんさんを今もずっと覚えている。親から選ばれた人生で、なにがやりたいのかもわからず自分が一番上手いことをやってきた結果がこれなんです、って言っていたひちょんさん。ただやらなきゃと思ってやります、って言っていたひちょんさん。社長、という立場になることを自分で決めたひちょんさん。自信はないけど自分を信じてくれる周りを信じます、と言っていたひちょんさん。順調な過程じゃなくても自分の道を進みたいと思うと言っていたひちょんさん。

全部抱えて、ひちょんさんが、今、ここにいてくれて良かった、というのはただのオタクの戯言だけど…。

まだ終わらない二十代、迷っても、一人じゃない。ひちょんさんはいつだって、一人じゃない。ずっと届けたかった言葉はひちょんさんが自分で見つけてくれたから、わたしはもうなにも言う事はないのかもしれないなって思ったけど、わがままだから、今度はずっとずっとしあわせでいてって思ってしまうのです。正解じゃなくても、しあわせ、で、いつかの終わりに笑えるように。自分よりも他の人の幸せをって言うひちょんさんがしあわせなら、それはみんなが幸せって事だから、今日もしあわせで、愛おしい仲間とたくさん笑って世界のどこかに猫みたいな笑顔を残していますように!

 

だいすきです、今日も。

 

 

 

2020.11.13 えわ