祈りかもしれない呪いかもしれない

キムヒチョンさんが好きです。
勝手に彼の幸せを願っているし、勝手に彼の言葉を解釈しては泣き、そんな言葉たちに救われては泣いている。

 

言語活動とは、「すでに分節されたもの」に名を与えるのではなく、満天の星空を星座に分かつように、非定型的で星雲状の世界を切り分ける作業そのものなのです。ある概念があらかじめ存在し、それに名前がつくのではなく、名前がつくことで、ある概念が私たちの思考の中に存在するようになるのです。

(内田樹「寝ながら学べる構造主義」より引用)  

という言葉にある通り、私は不定形なヒチョンさんが発する一部の言葉を、さらに切りとって私自身の思うヒチョンさんをつくりあげてしまっているのだろうと思う。

言葉にすることが好きだけど、私の言葉はたくさんのモノを切り捨てて、完全なようで実際には非常に偏っているから、そうしてつくられた枠の中で人のことを語ることに抵抗があるし、自分の言葉に自信がない。でも、私は語らずにはいられない。だってヒチョンさんが好きだから。絵も音楽も踊りも不得手な私の持つ表現方法は言葉だけだから。

ヒチョンさんは本当に伝えたいことは音楽で語りますと言ってくれた。それが私は楽しみでしかたがない。ヒチョンさんから溢れた音は形を変え姿を変えて私に、他の人たちに届く日が来るんだろう。形のない音が伝える情報に正解はないから、受け取った人それぞれがその音に対して自分の生活を重ねたりして心を動かす、その時に音は「音を楽しむ」と書く音楽になるのだと思う。

私が受け取る音はどんな風に響いて音楽になるのかな。残念ながら私は言葉以外に伝える方法を持ち得ていないので、そんな音楽に対しても陳腐な、既成の言葉を並べることになるのだろうけど。

____ごめんなさい。
“歌手としてだけみてください”って言ってくれたのに、私は今日もあなたが喋っている動画をみては、私の言葉の枠の中で、想って笑い、想って泣いて、あなたを偶像化しては想いを馳せています。

実際には会ったことはおろか見たこともない人を、好きですということの不確かさについてこの間彼がこぼしていた。その通りだ。
画面越し、指一本で作れる世界は、あなたが好きだと言っているこの文章も、数ヶ月前につくったSNSのアカウントも一瞬で消えることだってあるのに、そんな不確かな場所で、私は今日も、“ヒチョンさん、好きです”と言葉を残している。

 

ヒチョンさん、私はあなたが好きです。
舞台の上でみせる力強いのにどこか儚いパフォーマンスが、歌えないのが悔しくて喉から血が出るほど練習して生み出された歌声が、やり始めたことは完璧にしたいという信念が、弟からは歪んでいると言われたりもする仲間に向ける愛情と眼差しが、ファンの何気ない言葉にも向き合ってくれる誠実さが、そしてそんなあなたからみえる脆さと危うさが、私は大好きです。

(人の脆さや危うさを魅力的だと感じてしまう自分に罪悪感を覚えるけれど、事実そうなのだから、ここには残すことにします。あなたの目に入る日が来ませんように)

 

幼いころから、自分がみているその何十倍もの人にみられる生活を送ってきた、そんな彼が今までに経験したことも、感じていることも、考えていることも、私は全く知らない。当然だ、他人なんだから。そしてそれらを想像しようとすることすら烏滸がましいような気がしている、想像してみたところでそれが当たることもないのだろうけど。
でも私が思うに、おそらく彼は、見知らぬ人から“あなたに救われた”と言われることが好きではないのだろう。ヒチョンさんの人生がヒチョンさんのものであるように、人の人生は人のもの。そこに自分自身が影響を及ぼすことを、少し恐れているんじゃないかな、とQ&Aの受け答えをみていて思う。
多くの人の目に入るということは、それだけ影響を与えるということ。多くのアイドル/アーティストが元気や勇気を与えたいというのも、自分の持つ影響力に自覚があるからだろう。でも、ヒチョンさんはそのことにすごく無意識で無自覚だ。いや、客観的にはわかっているのかもしれない、だけど、それでもやっぱり自分が他者に影響を与えることを信じていない部分があって、それが彼の自己肯定感の低さの表れでもあるだろうし、言葉の隅々にある優しさの素でもあるのかな、と思っている。

 

ヒチョンさんの言葉が好きです。

疲れた時、そっと差し出されるコーヒーやホットミルクのような、何かに立ち向かわなければならない時、手に握りしめていられる飴玉のような、うたた寝している時、誰かがそっとかけてくれた上着のような、怪我をした時、すっと差し出された絆創膏のような、小さいけれど優しくて、倒れそうになったら支えてくれる、あなたの言葉が大好きです。
願わくば、そんな言葉をかけてくれる人が、あなたにもいるように。倒れそうにならないように、あなたと共に歩んでくれる仲間と、この先の未来を過ごせるように。
永遠なんてないけれど、永遠であってほしい。
幸せはとても不確かで、正解でもないのかもしれないけれど、あなたにはたくさん笑ってやりたいことをやって、幸せな毎日を過ごしてほしい。

 

祈りは呪いにもなるから、私の言葉がどちらに転ぶのかはわからない。でも彼が気づかないなら、呪いでもいいのかもしれない、それで彼が笑って日々を過ごせるのなら。

 

 

 

2020.6.3 えわ