後ろめたさと共に

 

 

去年の今頃、わたしはまだ彼らを知らなかった。番組を見始めたのが1月11日、彼らにのめり込んだのは1月の半ばを過ぎた頃、当時いた場所でコロナウイルスが流行り出し、外に出れなくなって、話す相手もいない、そんな時期だった。皮肉なことだ、と思う。コロナがずっとずっと憎くて仕方ないのに、コロナがなかったらわたしは彼らに出会わなかった。神様、がいるのなら、どうしてこんなジレンマの中にわたしを放り込んだのですか?と聞きたくなるほどに、後ろめたくなることがある。

冬休みだった学校の開校延期が決まった。一時のはずだった帰国がいつまでになるかわからなくて、往復でとった飛行機のチケットの復路をキャンセルした。大半の荷物は学校の寮に置いたままだったから帰国の前日、寮に帰った。いつも人で溢れていた地下鉄ががらがらで怖かったのをよく覚えている。優心くんとしゅなくんの動画を見たのはその夜だった。次の日、空港に向かうタクシーの中で、私が番組を見るきっかけだったユンドンペンの友達からのメッセージにユンドンくんが発表されたことを知った。

帰国して、なんの障害もなくいろいろな情報に、YouTubeにアクセスできるようになった。その当時はTwitterをやっていなかったので、各ファンダムさんのざわめきも知らないまま、夜はYouTubeを更新し、昼間は何かに取り憑かれたかのようにHALOの動画を漁った。今まで、「人」にハマることがなかった私には信じられないような行動で、家族に心配されるほどだったけど、そんなこともお構いなしだった。2月9日、初めて動画を見て叫んで、そして泣いた。泣きながらユンドンペンの友達とメッセージをやりとりしたのを今も鮮明に覚えている。

Twitterは親しい友人数人としか繋がっていない小さなアカウントでこっそり見ていたのだけど、ついに耐えられなくなった私がアカウントを作ったのはユンドンくんの誕生日の前日だった。そして迎えた誕生日、用事があって東京にいた私は、幸せが溢れる大量の写真の数々に次の日の朝が早いのもわすれて、ホテルのベッドでいつまでも愛に溢れたTLを眺めていた。訳わからないぐらい幸せだった。それからというもの、そのアカウントは私が一番よくいる場所になった。時折投稿されるInstagramに沸いたりする中でたくさんのEαRTHさんにも出会ったし、彼らのことがどんどん好きになった。いろんな事件もあったけど、それでもとても楽しかった。

3月にオンラインで授業が始まることが決まって始まった私の引きこもり生活は6月まで続いた。週に一回か二回、徒歩5分もかからない歯医者さんにいく以外どこにも出かけない生活はじわじわと私の心を蝕んでいった。もともと引きこもり体質だったから大丈夫だと思っていたのだけど、想像以上に授業がしんどかった。先が見えないまま、先生も学生も双方が慣れないオンライン授業、学生がいろんな国に散らばっているのもあって電波が悪くて授業にならない、なんてこともしょっちゅうで、折角海外の大学に行ったのに、なんでこんなことになってるんだろう、と答えの出ない問いを繰り返して、泣きたいのに涙すら出なかった。もともと本を読むことが大好きだったのに、文字を追って入ってくる情報が受けつけられなくなって、小説どころか漫画にすら触れなくなった。そんな毎日の中で、おるびは、本当に私の救いで希望だったのだ。おるびのことなら笑えたし、泣くことだってできた。おるびが好き、という共通点だけで、顔も名前も年齢も全然知らない人と出会って、たくさんのやりとりをして、一緒に笑ったり泣いたりすることが、心から楽しくて嬉しかった。(こうして言葉にするとあまりに依存しているやばいやつでびっくりするな、でも、嘘ではないのです…。)

ずっと言葉にすることで自分を保ってきた人間だったのに、長らく、丁寧に言葉にする、ということを避けていたのだなぁと気づいて、言葉を綴る、ということをやってみようと思ったのも、そうして今日ここまできているのも、おるびの、そして仲良くなってくれたEαRTHさんのおかげだった。

もうすぐ一年、が経つこの生活を、日常だと認めることがずっと怖かった。すぐに戻れると、帰国は一時的なものだと、信じていたかった。だけど、そうもいかなくて、実際に私はまだ戻れる見通しが立たないまま、日本にとどまっている。そして、少しずつ現実を受け入れることができるようになった理由も、おるびにあった。どのつく面倒くさがりなので、丁寧な暮らし、はできないんだけど、そういう風に日常を見せてくれたおるびがいたから、朝起きたら窓を開けてみたり(もう寒すぎて無理だけど)、好きな本を表紙を見せて飾ってみたり、日常に小さな楽しみを増やそうとするようになった。季節を感じたくて、夜に散歩に出かけたり、休みの日少し遠くまで出かけてみようと思うのもそう。そういう小さなことに彼らがいることが嬉しかったし、彼らの好きを日常で見つけるたび、少し幸せになれて、いまを楽しめるようになっていって、ほんとうに感謝してもしきれないぐらい、おるびに支えられていた一年だった。今も。

 

 

ありとあらゆる情報が溢れたこの世界で、何かを好きになることは、とても簡単で、好きであり続けることは、とても難しいのだな、と最近よく思う。

偶像だと思っていた。でも、おんなじ人だった。いつまでも夢をみていたかった。でも、そんなことはできなくて、目の前には現実があった。

それでも、やっぱり彼らが大好きで、大好きで、幸せを願いながら、遠い光を追いかけている。

もっとサポートがいっぱいつく選択肢だってあっただろうに、矢面に立たない選択肢だってあっただろうに、彼らが選んだ道は、私が思っていた以上に険しい道だったようで、拓いていく彼らの勢いとセットの危うさに、心が痛くなることもちょっと多い最近。でも突き詰めたところでは彼らの人生は彼らのものだから、何もできないし、関わることもないのだと、ある種の冷たさで彼らを見ている自分がいる。

だってきっと、この先にまた何があっても「この7人だったら失敗すらもいいんじゃないかと思って」って言う彼らを、私はずっとを追いかけてしまうのだ。彼ら自身の思うように生きててくれれば、それで。

 

 

いろんなきっかけで離れる選択をする人を何人も見てきた。とっても寂しくて泣きたくなるけれど、誰も悪くなくて、誰も責められない。幸せ、より、しんどい、が勝ってしまうのは、好きだったものを手放すのは、とても痛い。みんな、痛みを抱えて、自分の人生をたしかに生きるために、幸せに生きるために選んでいく。誰かがいなくなったことに気づくたび、どうかみんな幸せな日常をおくれますように、と、痛みができるだけ早く消えますように、と願っている。

心の底ではいつか笑って会える日が来ることを祈りながら。

 

 

 

 

2020.12.19 えわ