無題

 

彼らとであってもうすぐ4年が経つらしい。
もうおしまいにしなきゃいけないのかなぁ、と思うようになってだいぶ経ってしまったけど、ここで出会った人たちとの縁が切れてしまうのも悲しくて、ずっと見て見ぬふりをしている。FCにはまだ入ってるけどもう長いことコンテンツは開いていないし、彼らのSNSすらもほとんどみていない。ささやかだけどお金を出し続けている、というその事実を免罪符のようにして、私はまだここにいる。

変わったのは多分私の方で、彼らは変わらずに全力で「ORβIT」をしてくれているのだと思う。求められることは少しずつ変わっていくものだし、過ごしていく中での変化はあるだろうけど、もう、それがわかるほど近くにはいなかった。
出会えたことも好きになれたことも、なにひとつ後悔はしていない。彼らがいたから生まれた感情、体験できたこと、出会えた人、広がった世界、そのひとつひとつがとっても大切な宝物で、今日の私を構成している重要な要素でもある。そしてそうしてつくられた今の自分が嫌いなわけでもない(落ち込むこととか普通にたくさんあるけども)。
彼らがいる思い出を語るときには、いつだって笑みを浮かべることができるだろうな、と思えるくらいには、まだ、。

 

嫌いになったとかそういうわけでは決してなくて、じゃあなにが変わったんだろうとずっと考えていた。
3年前の突然集合事件とか、件の件のとか、そういう不信感というかがっかりというか、寂しさというか虚しさというか、なんかそんな感情がすこし積もっていってしまったことになにも影響を受けてないと言ったら嘘になってしまうけど、でも。

多分だけど、自分がもう、今までのように彼らにすがらなくても、だいじょうぶ、になりたかったのだ、たぶん。


振り返ってみれば、彼らはずっと、不安定な私がこの世界をサバイブするための灯火だったように思う。コロナで先が見えない世界も、実感がわかないまま“卒業”に向き合わなきゃいけなかった日々も、うっかり性に合わなすぎる会社に入ってしまった日々も、私は「じぶん」がどうしたいのか、どこに行きたいのか、という現実に向き合えずにいた。考えても仕方がないことも、ただ逃げてるだけなこともあったけど、そんなとき、ときには危なっかしくも、懸命に生きてる彼らがいるということが、私にとっての希望だったし逃げ場だった。
彼らの危なっかしさとか脆さとかそれを隠せない不器用さとか、そういう不安定さをあいしていた。その“あい”はだいぶいびつだったかもしれない、と今はおもう。


自分のあたらしい行き先を決めた、それは自分の人生を選んだ、ということでもあった。「選ぶ」というのは同時にその他のものを「捨てる」ということでもあった。そして私は自分であの“あい”を捨てることを選んだのだ。

彼らから精神的にも物理的にも離れて、それでも時は変わらずに流れていくことに、寂しさを感じることもある。もしかすると、物理的な距離がここまでじゃなかったら、捨てることは選ばなかったのかもしれない、と思うこともある。

 

 

それでも。

 

 

彼らがコロナの間叶えられなかった夢を叶えていくように、私も自分の夢を叶えるために、ここで頑張りたいと思う。

 

 

いつかのことばのように、わたしたちはきっと、どれだけ離れても、まためぐり逢えると信じて。

 

もし、いつかまた彼らに会いにいこうと思える日がきたら、その時はつよくて綺麗な彼らの放つまっすぐな輝きをいびつじゃない“あい”であいせる私でありますように。

 

 

またね。

 

 

2023.11.29 えわ