無題

 

彼らとであってもうすぐ4年が経つらしい。
もうおしまいにしなきゃいけないのかなぁ、と思うようになってだいぶ経ってしまったけど、ここで出会った人たちとの縁が切れてしまうのも悲しくて、ずっと見て見ぬふりをしている。FCにはまだ入ってるけどもう長いことコンテンツは開いていないし、彼らのSNSすらもほとんどみていない。ささやかだけどお金を出し続けている、というその事実を免罪符のようにして、私はまだここにいる。

変わったのは多分私の方で、彼らは変わらずに全力で「ORβIT」をしてくれているのだと思う。求められることは少しずつ変わっていくものだし、過ごしていく中での変化はあるだろうけど、もう、それがわかるほど近くにはいなかった。
出会えたことも好きになれたことも、なにひとつ後悔はしていない。彼らがいたから生まれた感情、体験できたこと、出会えた人、広がった世界、そのひとつひとつがとっても大切な宝物で、今日の私を構成している重要な要素でもある。そしてそうしてつくられた今の自分が嫌いなわけでもない(落ち込むこととか普通にたくさんあるけども)。
彼らがいる思い出を語るときには、いつだって笑みを浮かべることができるだろうな、と思えるくらいには、まだ、。

 

嫌いになったとかそういうわけでは決してなくて、じゃあなにが変わったんだろうとずっと考えていた。
3年前の突然集合事件とか、件の件のとか、そういう不信感というかがっかりというか、寂しさというか虚しさというか、なんかそんな感情がすこし積もっていってしまったことになにも影響を受けてないと言ったら嘘になってしまうけど、でも。

多分だけど、自分がもう、今までのように彼らにすがらなくても、だいじょうぶ、になりたかったのだ、たぶん。


振り返ってみれば、彼らはずっと、不安定な私がこの世界をサバイブするための灯火だったように思う。コロナで先が見えない世界も、実感がわかないまま“卒業”に向き合わなきゃいけなかった日々も、うっかり性に合わなすぎる会社に入ってしまった日々も、私は「じぶん」がどうしたいのか、どこに行きたいのか、という現実に向き合えずにいた。考えても仕方がないことも、ただ逃げてるだけなこともあったけど、そんなとき、ときには危なっかしくも、懸命に生きてる彼らがいるということが、私にとっての希望だったし逃げ場だった。
彼らの危なっかしさとか脆さとかそれを隠せない不器用さとか、そういう不安定さをあいしていた。その“あい”はだいぶいびつだったかもしれない、と今はおもう。


自分のあたらしい行き先を決めた、それは自分の人生を選んだ、ということでもあった。「選ぶ」というのは同時にその他のものを「捨てる」ということでもあった。そして私は自分であの“あい”を捨てることを選んだのだ。

彼らから精神的にも物理的にも離れて、それでも時は変わらずに流れていくことに、寂しさを感じることもある。もしかすると、物理的な距離がここまでじゃなかったら、捨てることは選ばなかったのかもしれない、と思うこともある。

 

 

それでも。

 

 

彼らがコロナの間叶えられなかった夢を叶えていくように、私も自分の夢を叶えるために、ここで頑張りたいと思う。

 

 

いつかのことばのように、わたしたちはきっと、どれだけ離れても、まためぐり逢えると信じて。

 

もし、いつかまた彼らに会いにいこうと思える日がきたら、その時はつよくて綺麗な彼らの放つまっすぐな輝きをいびつじゃない“あい”であいせる私でありますように。

 

 

またね。

 

 

2023.11.29 えわ

後ろめたさと共に

 

 

去年の今頃、わたしはまだ彼らを知らなかった。番組を見始めたのが1月11日、彼らにのめり込んだのは1月の半ばを過ぎた頃、当時いた場所でコロナウイルスが流行り出し、外に出れなくなって、話す相手もいない、そんな時期だった。皮肉なことだ、と思う。コロナがずっとずっと憎くて仕方ないのに、コロナがなかったらわたしは彼らに出会わなかった。神様、がいるのなら、どうしてこんなジレンマの中にわたしを放り込んだのですか?と聞きたくなるほどに、後ろめたくなることがある。

冬休みだった学校の開校延期が決まった。一時のはずだった帰国がいつまでになるかわからなくて、往復でとった飛行機のチケットの復路をキャンセルした。大半の荷物は学校の寮に置いたままだったから帰国の前日、寮に帰った。いつも人で溢れていた地下鉄ががらがらで怖かったのをよく覚えている。優心くんとしゅなくんの動画を見たのはその夜だった。次の日、空港に向かうタクシーの中で、私が番組を見るきっかけだったユンドンペンの友達からのメッセージにユンドンくんが発表されたことを知った。

帰国して、なんの障害もなくいろいろな情報に、YouTubeにアクセスできるようになった。その当時はTwitterをやっていなかったので、各ファンダムさんのざわめきも知らないまま、夜はYouTubeを更新し、昼間は何かに取り憑かれたかのようにHALOの動画を漁った。今まで、「人」にハマることがなかった私には信じられないような行動で、家族に心配されるほどだったけど、そんなこともお構いなしだった。2月9日、初めて動画を見て叫んで、そして泣いた。泣きながらユンドンペンの友達とメッセージをやりとりしたのを今も鮮明に覚えている。

Twitterは親しい友人数人としか繋がっていない小さなアカウントでこっそり見ていたのだけど、ついに耐えられなくなった私がアカウントを作ったのはユンドンくんの誕生日の前日だった。そして迎えた誕生日、用事があって東京にいた私は、幸せが溢れる大量の写真の数々に次の日の朝が早いのもわすれて、ホテルのベッドでいつまでも愛に溢れたTLを眺めていた。訳わからないぐらい幸せだった。それからというもの、そのアカウントは私が一番よくいる場所になった。時折投稿されるInstagramに沸いたりする中でたくさんのEαRTHさんにも出会ったし、彼らのことがどんどん好きになった。いろんな事件もあったけど、それでもとても楽しかった。

3月にオンラインで授業が始まることが決まって始まった私の引きこもり生活は6月まで続いた。週に一回か二回、徒歩5分もかからない歯医者さんにいく以外どこにも出かけない生活はじわじわと私の心を蝕んでいった。もともと引きこもり体質だったから大丈夫だと思っていたのだけど、想像以上に授業がしんどかった。先が見えないまま、先生も学生も双方が慣れないオンライン授業、学生がいろんな国に散らばっているのもあって電波が悪くて授業にならない、なんてこともしょっちゅうで、折角海外の大学に行ったのに、なんでこんなことになってるんだろう、と答えの出ない問いを繰り返して、泣きたいのに涙すら出なかった。もともと本を読むことが大好きだったのに、文字を追って入ってくる情報が受けつけられなくなって、小説どころか漫画にすら触れなくなった。そんな毎日の中で、おるびは、本当に私の救いで希望だったのだ。おるびのことなら笑えたし、泣くことだってできた。おるびが好き、という共通点だけで、顔も名前も年齢も全然知らない人と出会って、たくさんのやりとりをして、一緒に笑ったり泣いたりすることが、心から楽しくて嬉しかった。(こうして言葉にするとあまりに依存しているやばいやつでびっくりするな、でも、嘘ではないのです…。)

ずっと言葉にすることで自分を保ってきた人間だったのに、長らく、丁寧に言葉にする、ということを避けていたのだなぁと気づいて、言葉を綴る、ということをやってみようと思ったのも、そうして今日ここまできているのも、おるびの、そして仲良くなってくれたEαRTHさんのおかげだった。

もうすぐ一年、が経つこの生活を、日常だと認めることがずっと怖かった。すぐに戻れると、帰国は一時的なものだと、信じていたかった。だけど、そうもいかなくて、実際に私はまだ戻れる見通しが立たないまま、日本にとどまっている。そして、少しずつ現実を受け入れることができるようになった理由も、おるびにあった。どのつく面倒くさがりなので、丁寧な暮らし、はできないんだけど、そういう風に日常を見せてくれたおるびがいたから、朝起きたら窓を開けてみたり(もう寒すぎて無理だけど)、好きな本を表紙を見せて飾ってみたり、日常に小さな楽しみを増やそうとするようになった。季節を感じたくて、夜に散歩に出かけたり、休みの日少し遠くまで出かけてみようと思うのもそう。そういう小さなことに彼らがいることが嬉しかったし、彼らの好きを日常で見つけるたび、少し幸せになれて、いまを楽しめるようになっていって、ほんとうに感謝してもしきれないぐらい、おるびに支えられていた一年だった。今も。

 

 

ありとあらゆる情報が溢れたこの世界で、何かを好きになることは、とても簡単で、好きであり続けることは、とても難しいのだな、と最近よく思う。

偶像だと思っていた。でも、おんなじ人だった。いつまでも夢をみていたかった。でも、そんなことはできなくて、目の前には現実があった。

それでも、やっぱり彼らが大好きで、大好きで、幸せを願いながら、遠い光を追いかけている。

もっとサポートがいっぱいつく選択肢だってあっただろうに、矢面に立たない選択肢だってあっただろうに、彼らが選んだ道は、私が思っていた以上に険しい道だったようで、拓いていく彼らの勢いとセットの危うさに、心が痛くなることもちょっと多い最近。でも突き詰めたところでは彼らの人生は彼らのものだから、何もできないし、関わることもないのだと、ある種の冷たさで彼らを見ている自分がいる。

だってきっと、この先にまた何があっても「この7人だったら失敗すらもいいんじゃないかと思って」って言う彼らを、私はずっとを追いかけてしまうのだ。彼ら自身の思うように生きててくれれば、それで。

 

 

いろんなきっかけで離れる選択をする人を何人も見てきた。とっても寂しくて泣きたくなるけれど、誰も悪くなくて、誰も責められない。幸せ、より、しんどい、が勝ってしまうのは、好きだったものを手放すのは、とても痛い。みんな、痛みを抱えて、自分の人生をたしかに生きるために、幸せに生きるために選んでいく。誰かがいなくなったことに気づくたび、どうかみんな幸せな日常をおくれますように、と、痛みができるだけ早く消えますように、と願っている。

心の底ではいつか笑って会える日が来ることを祈りながら。

 

 

 

 

2020.12.19 えわ

空の光の

 

 

 

『君へ』と名付けられたその歌は、ヒチョンさん、があふれていた。Kimihe という音が キムヒ という名前と掛けられているように思えるのは偶然だろうか。

 

永遠のような 憂鬱に閉じ込められて

冷静装い 自分を責めているの

 

静かな歌声から始まるその歌は、優しくて、寂しくて、どこか懐かしさをたずさえていた。

 

「君」にあてた届かないことを知っている手紙のような言葉によって進んでいく詩。「君」の近くで、遠くで、励ましながら、諭しながら、ときには自分に言い聞かすように。それは熙天という名前に込められた意味を知っている人だけが気づく時空を超えるメッセージだった。そして最後、それまで「空の光の」と俯瞰して語られていた「君」が「空の光の」「僕」「空に浮かぶ」「僕」とリンクする瞬間、この人はいままでを絶対に “なかったこと” にはしないんだなぁと思ったのだ。わたしはずっと、強くなろうともがくあなたが好きなのです。

 

ひちょんさんの100分の1も知らなくて、こんなふうに言葉を残すこともおこがましい気がするけれど。やっぱりこの歌詞をみたら、この歌を聴いたら、想いをはせずにはいられなくて、こんな風に言葉を綴っている。

 

歌手になるために生まれてきたひとだと思います、というファンの言葉に、ありがとうございますと言いながらもすこし暗い表情になって、そう見えるならいいけど…そうかなぁ〜と呟いていたひちょんさんを今もずっと覚えている。親から選ばれた人生で、なにがやりたいのかもわからず自分が一番上手いことをやってきた結果がこれなんです、って言っていたひちょんさん。ただやらなきゃと思ってやります、って言っていたひちょんさん。社長、という立場になることを自分で決めたひちょんさん。自信はないけど自分を信じてくれる周りを信じます、と言っていたひちょんさん。順調な過程じゃなくても自分の道を進みたいと思うと言っていたひちょんさん。

全部抱えて、ひちょんさんが、今、ここにいてくれて良かった、というのはただのオタクの戯言だけど…。

まだ終わらない二十代、迷っても、一人じゃない。ひちょんさんはいつだって、一人じゃない。ずっと届けたかった言葉はひちょんさんが自分で見つけてくれたから、わたしはもうなにも言う事はないのかもしれないなって思ったけど、わがままだから、今度はずっとずっとしあわせでいてって思ってしまうのです。正解じゃなくても、しあわせ、で、いつかの終わりに笑えるように。自分よりも他の人の幸せをって言うひちょんさんがしあわせなら、それはみんなが幸せって事だから、今日もしあわせで、愛おしい仲間とたくさん笑って世界のどこかに猫みたいな笑顔を残していますように!

 

だいすきです、今日も。

 

 

 

2020.11.13 えわ

宇宙が冷たいのなら

 

 

彼の宇宙が冷たいのなら、冷たい宇宙を創るのはどれだけ怖いことだったんだろう、と考える。暗闇で光を求めて、また暗闇を創り、前も後ろもないような場所で光を生み出すために、もがく。どこに辿り着くのかもわからない、そんな中で、振り返らずに進み続けるのは、どれだけ苦しかったんだろう。彼らの希望になることができていただろうか。遠くても煌めきに、瞬きになれていたんだろうか。そうだったらいい。光を装った鋭い針は全部私に刺さればいいから、彼らに届くことがなければいい。夢を生みだす宇宙が、希望で溢れたらいい。夢から醒めても、その輝きが消えなければいい。破った殻すらも、宇宙の煌めきになったらいい。彼らが創り出した暗闇の光が、彼らを照らせるように。未来はもっと暖かいと信じられるように。静かでとても熱い青い炎のような強さを手に入れた彼らが誰にもかき消されることなく、もっともっと燃えさかればいい。かなしみを燃やすだけじゃなくて、温もりすら自分たちで創り出せたらいい。誰がなんと言おうと自分たちの道を拓いて、頂上まで登り詰めればいい。高みに登れば登るほど色が失われていくのなら、自分たちだけの極彩色を宇宙に散らそう。どこまでも広がり続ける宇宙を自分たちの色で照らして、そしていつか光の海の中で、永遠の希望をみて、笑ってほしい。この世の全て、なにもかも、思う存分に利用したらいい。彼らのすべてを世界に叫ぼう。いつか遠くなっていく彼らを心の底から愛していたい。今日も明日もずっと彼らはとくべつ。

 

 

 

幸せに生きることが正解じゃないけど怖くないようにってあなたが言った夜、ほんとうに1番怖かったのはあなただったのかもしれない。あのときあなたがみていた未来に光があったらいいと、いまさらでも希う。ただ楽しんでくださいって言うあなたがあまりも強くて優しくて、寂しさすら覚えるけど、どうか、あなたが怖くないようにって、あなたが幸せでありますようにって願う人が沢山いることは覚えていて。あなたの幸せが他の人も幸せにするから、どうか自分の幸せを大切に、他者のために犠牲にすることがありませんようにと願うけど、けど、きっと優しいあなたは差し出すことを厭わないんだろうな。だから、あなたを好きになった。
肩書きがあなたに背負わせるプレッシャーはどれほど重いのか、思うように動けないもどかしさはどれほどだろうか、想像もつかないけど、全部を呑み込んで最高を創り出し、さらなる高みに登り続けるあなたのことが大好きで、大好きで、これ以上の言葉がみつからない。幸せであってほしいよ、沢山笑って、美味しいものを食べて、真夜中に公園ではしゃいでる姿を弟に暴露されるような、愛おしい日常をこれからも沢山みれますように。きっとあなたは自分を甘やかしはしないから、私は届くことのないこの場所でずっと願うのだと思う。どうか健康で、ときには休んで、無理をしないで。あなたが特別で大切な仲間と今日も笑えますように。だいすき。

 

 

2020.10.16 えわ

なんでもない秋の日に

 

なんでもない秋の夜だけど、今日は、私にとってはすこし、もしかするとだいぶ、ちょっとだけ特別な日で、今はもう会うことのない人の、誕生日だった。

もうすぐ、一昔と呼ばれる時間が経つあの頃、私はまだこどもで、反抗期で、うまく受け入れることも、悲しむことも出来ず、ただ事実だけがそこにあった。多分ほんとはあった感情はどこにもいけず、ただ蓋がされて私のなかにしまわれた、のだと思う。
悼む、ということは事実を私のものにすることで、蓋をした感情と向き合うことと同義だったから、毎年やってくる命日と誕生日が、いちばん嫌いだった。いない人を純粋に悼む人たちに囲まれて、自分の居場所がないように思える年もあったし、学校のイベントと重なって、周りの明るさにすこしだけ後ろめたい気持ちになった年もあった。

すこしずつ大人になったから、憂鬱でも、なんでもないように過ごすことができるようになってしまったけど、やっぱり、なんでもない秋の日は、ずっと私にとって憂鬱な日だった。
今年までは。

初めて、誕生日に花を買った。お彼岸に合わせてお墓まいりに行った。悲しみたい私と、ようやく向き合えた気がした。


それはたぶん、ヒチョンさんやおるびのおかげ、だった。
離れている人を想うことが、会えない人を想うことが、決して寂しいことではなくて、会えなくても祝うことができて、寂しいと感じたじぶんのきもちは自分のもので、素直に受け入れていいのだと、ようやく、思えるようになったのは、そう教えてくれたのは、出会ってからの、この、半年と少し、だった。
この先で、会える、会えないの違いは大きいけれど、もしかしたらこういう風に並べてしまうのは、失礼かもしれないけど、でも、ほんとう、なのだ。

やっと、悲しいと泣けるようになった。素直におめでとうを想うことができるようになった。きっともうすこし後の命日には純粋に悼むことができるでしょう。

ありがとう。私の人生に現れてくれて、ありがとう。たくさんのきらめきと一緒に、やさしさを届けてくれて、ありがとう。誰かを想うことの素晴らしさを、教えてくれてありがとう。

これは彼らにはなんにも関係のない場所でおきた、私にとって、とても大きな出来事。
彼らがこれを知ることはないけれど、こんな勝手に背負わされた激重感情は知らなくていいけれど、でも、残しておきたいと思うよ。

やっぱり、だいすきだな。ずっと。

 

 

 

2020.9.20  えわ

 

あいと矛盾

 

 

一緒に暮らしている人のことすらもよくわからないのに、画面越しでしか知らない彼らのことなんてわかれるはずもなくて、それなのにみせてくれるその一面だけで、想ってしまう、縋ってしまう。それが、今の距離だった。


泣いたり笑ったり、喜んだり悲しんだり、彼らはとても遠くにいるのに、うごかされる感情はとてもゆたかで身近だ。
それらをまとめたとき、好きという言葉では溢れてしまうけど、愛していると、なにもできないわたしがいうのは、あまりにも無責任で乱暴で、できなくて。

でもこういうとき、日本語はとても便利だから、あいしている、というひらがなにすれば、なぜか許される気がしている、それは多分、あいしている、という文字の長さにみえる未熟さやぎこちなさのおかげだった。

こうして綴る言葉たちは、わたしにとって恋文ではないけどラブレターではあって、でも届かなくていいと心の底から思っている。わたしの幸せであれという無責任な思いは、そんな乱暴なエゴは、絶対に届かなくていい。
だから、届かなくていいから、どうか、彼らにとって大切な人に愛されて、そして愛して、痛みを感じることがありませんように。

 

 

綺麗な部分だけをみせてなんて思ってない。でも、つらさとか怖さとか、そんなものをかかえてるのだってみたくはないのだ。とくにわたしたちのために何かをしているせいで、それらをかかえてしまうのが。ほんとうは、みたくないというか、そんなものたちが彼らの近くに存在することが嫌なのだけど、にんげんだから、それはしかたのない話なわけで、でも、それでも、できるだけ、そういうつらさとか怖さとか、痛みを感じないで生きていてほしい。なんの宗教にも属していないけれど、こんな時だけは神さまとよばれる存在を頼りたくなるのです。


神さま、どうか、彼らにやわらかくて暖かな祝福を...

 


わたしにできることなんてほとんどなくて、その事実を思い知るたびに、落ち込んでは、こうしてネットの海の片隅に言葉をポロポロと零し、みたされないもどかしさを誤魔化しているし、勘違いの愛はきっと彼らを押し込める箱になってしまうから、それだけはやりたくなくて、でも彼らは他人からの関心を得てこそ成り立つ仕事をしているからなにもしないのも違う気がして、矛盾だらけのまま、今日も生きている。
わたしのあいは、偶像視することで成り立っているようで、
あいするということは、祈りで、そして呪いだった。
だから、彼らはこんなわたしのことは、知らなくていい。知らないでほしい。

 

彼らが知らないわたしは、平行線の片側で、今日も彼らをあいしている。


欲をいえば、わたしのあいの、きれいな部分だけ、名前のないまま彼らに届いてほしいけど...

 

 

 

2020.7.22  えわ

ふわふわとした愛だけ

 

 

疲れた顔や声すらもうつくしいと思ってしまうのは、とてつもないわたしのエゴで、わたしと彼の間にある残酷で決して超えることのできない境界線だった。ねえ、ヒチョンさん、わたしはあなたが差し出したものをほんとうに都合のいいように利用しながら生きているみたいです。それは、僕たちをみて、ただ楽しんでください、というヒチョンさんにとって本望なのでしょうか、、。

 

でも、わたし、ほんとうは、ヒチョンさんに幸せであってほしいと願っている、これは、絶対的な本心で。

不安とか恐怖とか、そんなものたちが彼にまとわりつくことのないようにって、のびのびと仲間たちとやりたいことをやれますようにって、祈っていて、それはもはや、少し、呪いのようでもあった。だけどそんな概念では、彼の不安も恐怖も拭ってはあげられないし、肩にかかる重さもかるくはしてあげられないから、じぶんの無力さに、画面の前でただ泣いたのです。そしてその直後、彼の話してくれる言葉の、わたしがそのまま受け取れる言葉たちの、その後ろで、いつも彼がすごくエネルギーを消費していたことを、彼自身を削っていたことを思い知らされて、さらに泣いたのでした。
海の向こう、だいたい1000kmの距離が私たちに与えたのは物理的な距離だけではなくて、とてももどかしいけれど...国や言葉を、生まれたときには選べないものを、絶対に怨みたくはないから、同じ国だったらなんて絶対に言いたくないから、言わないから、もどかしいその距離すらも、わたしはあいしたいとおもう、   。(決意表明?)

 

ヒチョンさんの好きな人の範囲がどこにあるのか、私にはわからないけれど、ステージのうえに立つことが、彼にとって仕事でありやるべきことなのだとしたら、それを期待しているわたしみたいなちっぽけな存在も、好きにほんのすこしだけでも、一粒のその欠片ぐらいは入れるのだろうか、なんて、どうしようもないことを考えてしまったというのはここだけの話...。
なにかを発信したり、人前に立つということは、期待や好奇の目に曝されて評価を受けることとイコールで、その度にいろんな人が其々の反応を示すけど、どうか、彼の、彼らのもとには暖かくて優しくて、これからの翼になるような、まだまだ飛べるって思えるものだけが届きますように...どうか、聞こえのいい期待という言葉に包まれた、彼らを閉じ込める箱が、届きませんように...自分のために生きることができますように...そんな祈りだけがふえて、実際にわたしができることなんてほとんどなくて、 。(そもそも、なにかができるなんておもうこと自体烏滸がましいのだけど...)

 

華奢にみえる、その背中が思ったよりも広くておおきくて、そこから溢れる「うちの子」への愛に、彼の優しさと愛情を知って、その背中を追いかけて、彼の周りには仲間がいるのだろうな、と思った。でもきっと追いかけるだけじゃなくて、たくさん支えたりもしているはずで、だからヒチョンさんは前かがみじゃなくていいんだよって、届かない場所だから無責任に言葉を残せるのだけど、でも、そう思うのです...。
さいご、ひとはひとりだから、後悔しても人のせいにはしないように、というのはとても大切なことだけど、そんな後悔も、楽しくていい未来をみんなで迎えるように、分かちあうことはできるとおもうから。もちろん悔いのないように生きれたらそれがいちばんいいのだけれど、にんげんは後悔する生き物なので、せめて、その悔いのなかにも暖かさをもたせたい、とおもうよ。


そして図面上は無限に引けるマイナスも、ひとには限界があるから、反比例の法則でできあがった幸せは、きっと永くは続かない。だから、わたしは、誰も損をすることなく、みんなが幸せであってほしい、。なんていうのは理想論で、ヒチョンさんの言葉よりよっぽど偽善的だけど、でも、誰かの幸せのために、誰かがつらいのは、とてもかなしいから。この先の楽しい時間が、ヒチョンさんにとっても、楽しい時間であるように、と、希ってやまないのです。

 

 

 

祈ることしかできないわたしは、今日も呪いのような祈りをこめて、眠りにつく。どうか、彼に届く愛が、暖かくてかるい、優しいものでありますように。

 

 

 

2020.7.20  えわ